2013年8月18日日曜日

ちぃずの魅力2:歌

 私は「歌」が好きだ。だから、アイドルを評価する指標として、ある程度の「歌唱力」を重視する。故に、私はこれまで、本店のゆったん・オカロ・はーちゃん(部長)・わさみん、栄のゆいみん・はーちゃん(総長)・あいりん、といった、いわゆる「歌唱メン」を中心に応援してきた(ただし、稀に例外もいる。この点はまたいずれ)。
 で、ちぃずの歌声はどうかと言うと、正直、今の時点で上記の面々と比べると、それほど上手いとは思わない。純粋な歌唱力なら(DMTでペアとなる)なおぽんの方が上だし、(ちぃずがアンダーを務める)芽瑠の方が上手いと言われても(私は彼女の歌い方があまり好きではないのだが)反論はしない。人によっては(ちぃずのアンダーに入ることが多い)まりりの方が上手いと感じる人もいるだろう。
 だが、彼女の歌声には、独特の魅力がある。彼女は日頃、本来の地声よりも高い声でMCをしていると書いたが、DMTやスカひらの時は、むしろ本来の地声を更に下げた「深く響く声」で歌っている(おそらく、芽瑠ポジの時は芽瑠の1オクターブ下を歌っていると思う)。全体的に「若くてフレッシュ」を売りにしている博多の中で、彼女の歌声は(上手すぎて浮いてるなおぽん同様)非常に異質であり、それ故に強烈なインパクトを残す。多人数グループにおいて、「他の人が出せない歌声」で勝負出来ることは、この上なく大きな武器である。
 と言っても、まだ今の時点ではその「低音」を使いこなせている訳ではなく、最低音になると低すぎて音程を合わせるのが精一杯で、声量も弱くなり、かなり苦しそうに聞こえる(おそらく今の彼女では、生歌であの音を安定して出すことは出来ないと思う)。そして彼女自身、自分のことを歌唱メンだとは思っていないようで、「家族でカラオケに行っても、私が一番下手」と自虐的にコメントしている(ただし、その上で「家族が上手いということは、私も上手くなれるかもしれない」とポジティブにまとめてはいる)。
 だが、あの声で歌えるということ自体が、一つの才能なのだ。彼女自身は「アイドルなのに声が低いこと」をコンプレックスに感じているようだが、人間の喉の構造上、「高音」は訓練すれば誰でも出せるのに対し(それを使いこなせるかどうかはまた別の問題だが)、「低音」に関しては人それぞれの喉ごと限界がある。つまり、「声の低さ」は、ほぼそのまま「潜在的に出せる音域の限界」とイコールなのである。そして実際、上で挙げた「歌唱力に定評のある面々」はいずれも「発声可能な最低音」がかなり低い。「女性としての地声の低さ」は、正統派の歌唱力を得るための必要条件と言っても過言ではない。
 そして、彼女の歌声はただ低いだけでなく、どこか「憂い」や「哀しさ」を感じさせる独特の響きを帯びており、だからこそ、DMTやスカひらのような哀メロ中心の楽曲とは非常に相性が良い。また、それは高音域においても同じで、「星の温度」の歌い出しにおいても、あの物悲しい歌詞とメロディに、彼女の「憂いを帯びた高音」が、これはこれで見事にマッチしているのである。
 そんな彼女の歌声の中の「憂い」や「哀しさ」が、どこまでが天性の声質で、どこからが意識的に表現して作り出された技術なのかは分からないが、いずれにせよ、これまでの劇場公演曲の中でもかなりの割合を占める「ノスタルジックな哀愁曲」の魅力を引き出すことが出来る若手として、今後も彼女の歌声が博多を支えていくことは間違いないと、私は確信している。

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