2014年6月17日火曜日

16人制じゃなくてもいい気がしてきた


 私はこれまで、組閣・兼任・移籍に対しては、基本的にはあまり好意的ではないものの、「中にはそれがいい方向に機能することもある」ということも認めてきた。実際、指原移籍の時も最初は困惑したものの、結果的にそれが正解であったことは認めざるを得ない。
 しかし、その一方で「16人制の破壊」については、これまでずっと「百害あって一利なし」だと思っていた。劇場においてアンダーが必要なのは分かるが、自分のアイデンティティとしての「固定ポジション」を貰えることこそが「正規メンバー」の証であり、それを流動的にしてしまっては、もはや研究生と大差ない。それではメンバー達があまりに可哀想だ、というのが私の持論だったのである。
 ただ、ここ数日の公演を(PCがまだ修理中なので、やむなくiPhoneで)見ていると、必ずしもそうとは言えないのではないか、とも思えてきた。というのも、現実問題として、今の48Gには「オリジナル公演」は一つも存在しない(ここ天も、今の新N公演は旧N公演とは全くの別物だと私は認識している)。上記の「自分だけの固定ポジション」というのは、オリジナルメンバーだからこそ意味がある訳であって、オリジナル公演が貰えない現状において、そこまで「固定ポジション」にこだわる必要があるのか?(というか、メンバー自身がそこまでこだわっているのか?)と考えると、少々疑問に思えてきたのである。
 そして、実際のところ、ポジションが流動的な今のH公演が、私は見てて楽しいのである。無論、私の中では「ちぃずのBLUE ROSEが毎回見たい」と思う気持ちもある。しかし、最近の「わかちゃんポジ」は、全体曲の中には「はるっぴポジ」以上に美味しいソロパートやセンターポジションが貰える局面もあり、このポジションに入った時のちぃずは、はるっぴポジの時とはまた違った魅力が引き出されている(無論、ちぃずの動物園が可愛いことは言うまでもない)。
 それに、よくよく思い返してみれば、私が金を払って夢中でDMMで見ていたのは、ポジション固定のレジェンド公演ではなく、最後までポジションが流動的な研究生公演の方だった。固定ポジションではないからこそ「今回は、どこに誰が入るのかな?」とワクワクしながら見ることが出来たし、同じパートでも様々なメンバーが歌うことで様々な味が出る、ということも実感していた。というか、むしろその「メンバーと楽曲の組み合わせのバリエーションの広さ」こそが、48Gにしか出来ない芸当でもあるということは、私自身も以前にこのブログでも書いたことがある(と思う)話である。
 繰り返すが、上記はあくまで「オリジナル公演が貰えない現状」に限定した話である。実際に博多がオリジナル公演を貰える頃までには、T II(T III?)を結成して16人制に戻した状態で「それぞれのメンバーの個性を生かしたオリジナル公演」を作ってほしいと思う。しかし、現実問題としてそれがいつになるか分からない以上、今はまだ「流動的に様々なポジションで多様な魅力を発揮するメンバー達」を見て楽しめばいいのではないか、と思えてきたのである。
 なんつーか、オリジナル公演を作ってくれない運営に対する諦めに基づいた、敗北主義的な考えかもしれないが、現実問題として、今のちぃずを初めとするHKTのメンバー達にとっても、様々なポジションで様々な表現法を学ぶことは、決して無駄ではないと思う。「それじゃあ、研究生時代と変わらないじゃないか」と言われればその通りなのだが、オリジナル公演が貰えないのであれば、どっちにしても扱いは研究生と大差ない(とまで言ってしまうのはさすがに暴論だろうか)。むしろ、今は48Gの全チーム構成員が「オリジナル公演が貰えるまでのセミ研究生」的な立場にあると割り切った上で、今のこの流動的ポジション制の中での楽しみを見出していくことが、絶望せずに彼女達を応援し続ける上で一番前向きな姿勢なのではないか、というのが、今の私の中の素直な気持ちである。

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